「on Earth」収録曲を作ったときのことなど。の巻

明日はついにサードアルバム「on Earth」の店着日!
みんな、買ってください。


収録曲を作ったときのことを書いてみます。


1.KANPAI
この曲は車を運転中に「紅茶でcincinとか、もうわけわからないなぁ」と思って、帰宅してパパッと作りました。
「イタリア 都市」でググったりもしたなぁ。
demoの日付を見ると、2014年の11月に作った模様。
「cincin」のハモりを録ってて、「あぁ、何してるんだ僕は」と思いました。
イントロのテーマはイタリア国歌から持ってきました。


2.Life on Earth?
これは、人の誕生ってむちゃくちゃめでたいな!と、当たり前のことを曲にしてみました。
最初はPassion Pitみたいな曲にしようと思ったのだった。
demoを聴いてるけど、サビの感じが全然違ったのだな。元々はもっと生まれてから老いていくまでのことを歌っていたようです。
まったく記憶にないけど、これはこれでいいなぁと思う。
なるほど、たしかこのころは宮沢賢治の作品の死生観について考えていたんだな。
2014年の4月に作りました。
弱いサッカーチームの応援歌みたいな曲だなぁと思います。
曲名はもちろんDavid Bowieの「Life on Mars?」から。まさかリリース前に亡くなってしまうとは。R.I.P.


3.猫の恋
これは「季語」というアプリを眺めていて、春の季語に「猫の恋」という言葉を見つけて、素敵!と思って作りました。
発情期の猫の鳴き声を表している言葉だそうです。
まったく、都合よく綺麗に表現しやがって!
2013年の5月に作ったようです。古いな!
ELOみたいにしたいなぁと思ってコーラスを録りました。そんなにELOっぽくはなってないけど、ナイスコーラスです。


4.トルクメニスタン
この曲も運転中に「トルクメニスタンに行ったら、どんなもの食べたらいいんだ?」と思って、帰ってすぐに作りました。
とにかくWikipediaに頼った。永世中立国だったり、独裁政権だったり、意外なことを知りました。
2015年の2月最後の日に作ったようです。
demoとはサビのメロディがちょっと違う。しほうの提案で節回しをすこし変えて、グッとよくなりました。
この曲はサックスで山本健二くん(ケンケン)、トランペットでまちょみくすさん(すだじいランド、Hicoband)に参加してもらいました。
吹いてもらっているフレーズは、トルクメニスタンの国歌からとりました。
国歌好きだなー!


5.さらば!魚
この曲を作った時期はSF児童文学を読んでいたのだった。
ジャンニ・ロダーリの短編「ヴェネツィアを救え あるいは魚になるのがいちばんだ」を読んで、「ほうほう、こりゃいいな。魚になれば悩みはなくなるなぁ」と思って作りました。
ただ、なかなか曲調がしっくりこなくて、何度もアレンジをやりなおしました。
間奏のおしゃれなところはしほうが考えてくれました。
demoを漁ってみると小沢健二の「ラブリー」みたいなアレンジが出てきたけど、いまの方が断然いいな。ただ、このdemoの僕、ギターうまいな!こんなことできるのか。
2014年11月の作曲。


6.ハッピーバースデー
誕生日をお祝いする曲。でも、人の年齢とかホント覚えられない。
まぁ、いくつになったんだか知らないけど、おめでとう!生きていてくれよな!という感じ。
モルグ最速曲。
2013年11月作曲。


7.エレキテル
2013年7月作曲。作ったときのことはまったく覚えてない。
Aメロ、Jelly Fishの曲で似てるメロディがある。
これもアレンジで悩みました。
いまは無き西院のスタジオBillboardで、倍速でやってみよう!とやってみたら、いいね!となったのでした。
それから宇宙の高速アルペジオ地獄がはじまったのです……(継続中。なお、最近さらにスウィープ地獄がはじまった模様)


8.雨があがったら
2014年2月作曲。なんだろうな。さみしかったんですかね。そうでしょうね。
これはサクッとできました。
歌詞は、最初のものからすこしずつしっくりくる言葉に書き換えました。


9.いつもの時間
2014年6月作曲。
夏の始まりの憂鬱な気分を歌ってみたら、すごくいい曲になりました。
これもすぐにできた。
demoの完成度がかなり高くて、もうこれはこれでいいだろう、となりました。
ドラムは打ち込み。しほうと石像が考えてくれました。


10.カッパ・キューカンバー
2014年1月作曲。ラップしてみました。
demoは、イギ―・ポップの「Lust for Life」みたいにしました。タンバリン振ってみたりして。
最初はラップでもなんでもなく、普通の曲だったのですが、スタジオでやってみて、なんかのっぺりしてるなぁとなって、しほうが「藤谷くん、ラップしてみたら?」と言い、やったろうじゃん!と、帰宅してすぐライムを紡ぎました。
まぁ、ただの早口言葉なのでは……?という懸念は常にありますが、そこはパーカーを着てフードを被ってサングラスをして金色のネックレスを着けて録音したので、大丈夫です!!


11.夜のみんな
2013年10月作曲。
この曲は何度も何度も歌詞を書き直して、神戸の坂をウロウロしながら考えて、WYNTER LAND(現SLOPE)の楽屋でいまの歌詞になりました。
ゴッホの絵のような雰囲気が漠然とあって、でもそれらしい歌詞が書けなくて悩んだのでした。
結局は、近所の歌になりました。神戸は関係ない。
一時は白亜紀が舞台の歌詞を書くなど、かなり迷走したなぁ。
よい歌詞が書けて、このときはホントよかった!と安堵したものです。


12.桜クラク
これはたぶん13年前ぐらいに作った曲。昼ドラが「はるちゃん6」だったもん。
歌詞を手直しして、アレンジをAORみたいな感じにして、おしゃれぶってみました。結果的にはAORを馬鹿にしてるみたいになってしまいました。
このアルバム唯一の捨て曲!捨て曲としては最高だと思います。


13.シャラララ
2013年12月作曲。
なにやら、よい歌詞です。歌詞カードで読んでみてほしい。
詩みたいに綺麗です。
この曲もケンケンとまちゃみが参加してくれてます。おかげさまで、華やかになりました。


こんな感じです。
この記事を書くにあたってdemoを聴いてみたら、普段は忘れていることを思い出せて楽しかったです。


二年半リリースがなかっただけあって、よい曲が揃いました。
期待して聴いてください。


ふじたに☆ゆーた

「on Earth」について。の巻

アルバム出します!
いやはや、2年半ぶりですよ。
長かった……。
快作ができました。
2月3日(水)リリースです。


年末から「KANPAI」という曲のMVを撮るためにクラウドファンディングで資金を募っていたのですが、無事に成功し、撮影も楽しく終了しました。


クラウドファンディングについては、日本にはパトロン文化がないし、あまり馴染まないのかなぁと思っていましたが、結構楽しいものでした。
金額に応じてリターンをお返しするのですが、その内容も僕たちらしいものにできました。
ただ単に「お金をくれ〜」というものではなかったです。


みんなでMVを撮ろう!という趣旨で始めたので、支援をしてくれた人がMVに出られる、ということになったのですが、これはよく考えたら、なんか変だな〜。普通は出る人はお金をもらうんじゃないかな〜。と気づいちゃったのですが、まぁそれは非日常体験を共有できたし、うん、みんな、出てくれた人は納得してくれたんじゃないかなぁと楽観主義を決め込んでいます。


さて、で、サードアルバムの「on Earth」について。
今回はかなり振り幅の大きな作品になったと思います。
ふざけまくっている曲、ふざけているのかどうなのかわかりにくい曲、切ない曲、すんごい名曲など。


このアルバムのジャケットは、小さいころの僕と祖父です。

■写真:ジャケット。歌詞カードの中にはメンバーみんなの子供のころの写真もあります。


僕は祖父が大好きで、とても甘やかされて育ちました。
祖父が90歳の誕生日に亡くなって、僕が思い出す祖父とのことは、どれもすごくくだらないのです。
たとえば。


小さい僕に騙されて、いつもより高額なミニカーを買わされた祖父。


ファミレスで日本酒を頼んで「うまいうまい」と飲んでいたら、ひと口飲んだ祖母に「お父さん、これ焼酎じゃないですか!?」と言われ、「あら、そうか〜」と笑っていた祖父。


祖父の妹の葬式の挨拶の冒頭に、ものすごい間抜けなアクセントで「ほぉんじつはぁ〜」と話し始めた祖父。


山道を運転中にうんこがしたくなって、車を止めて山の中に入って野ぐそを決めた祖父。


いやはや、どれもくだらない!
ただ、いつも笑っている祖父のことが思い浮かぶので、これでいいんだと思います。
愛おしいなぁと思います。


楽しかったり、悲しかったり、寂しかったり、くだらなかったり、あほくさかったりする瞬間が「人」や「命」の一側面としてあって、どれも美しいものだと思います。
このアルバムには、そういう「美しさ」がたくさん詰め込んであります。
ぜひ聴いてください。


ふじたに☆ゆーた(ご予約はコチラから!タワレコ限定初回特典缶バッジ有!)

Yankee!〜その2〜の巻(石像記す)

前回は「気合」にもとづくプラグマティズムがヤンキーのメンタリティを構成していることについて述べた。例えば矢沢永吉などがサクセスストーリーとしてヤンキーの憧れの対象となるのは、情熱を伴った現実主義・行動主義=「気合」によって成功を手に入れた物語であるからだ。
しかし言い換えると、このようなサクセスストーリーにヤンキーが共感するのは、自らの現実を守るためではないだろうか。ただ繰り返される現実に対して抱く漠然とした不安を抱くことのないように、目の前の現実の延長線上に夢やロマンを描いているのである。
そして、その夢が現実に反映されるという自己増幅的なループのなかで、現実も再確認されていくことになる。その結果がヤンキー的なメンタリティであり、具体的に言えばヤンキー的な服装や美学と言える。

今回はヤンキーにとって「絆」がどのような意味合いを持つのか考えていきたい。
そこで、まずはヤンキーの代名詞である暴走族をイメージしてもらいたい。彼らは一般社会から逸脱した存在であるということは間違いなく理解できるだろう。しかしその一般社会からの逸脱というイメージに反して、その内部では厳しい上下関係が構築され、男性または女性のみで構成された保守的な関係性のなかで、組織の構成員間での絆が極端なまでに重要視されている。
一般社会からの逸脱であるはずの暴走族が、むしろ保守的な絆による紐帯によって組織化されているのはなぜだろうか?
また異なった例として、湘南乃風などのミュージシャンをイメージしてもらいたい。詳細に語るまでもなく、恋人との絆、親との絆、親友との絆などといった、極端なまでの絆がここにも色濃く現れている。

これは根底でヤンキーのコミュニケーションスタイルが影響していると考えることができないだろうか。
現実主義者であるヤンキーにとって、メタレベルが存在し得ないことは前回述べた。そうすると、ヤンキーにとっての現実であるコミュニケ―ションはより表層的なものにならざるをえない。その表層的なコミュニケーションを行うコミュニティにおいて、個々人のアイデンティティを維持するために絶えざる自己確認と同時に、自分自身をキャラ化することが求められる。このことを斎藤環は「毛づくろい的コミュニケーション」※と呼んでいる。コミュニケーションが自分自身のキャラを再確認し、強化するために行われているためである。

つまり、ヤンキーにとっては本質的な他者は求められていない。ヤンキーの自己確認的なコミュニケ―ションにおいて、他者が介入することでその自己確認的ループを乱されることを彼らはもっとも嫌う。なぜなら、そのループのエンジンとなるのは自分自身の夢であるからだ。そのループが乱されることは夢を傷つけられることになり、翻ってアイデンティティさえも乱されることへと繋がってしまう。

このように本質的な他者を求めないヤンキーにおいて、コミュニケーションは自分の現実の内部にある存在である家族との間においては成立することが可能である。自分自身の夢を共有する(苦労をかけた)家族とは自己確認的ループが成り立つのである。
具体的には、学生時代にグレたことで苦労を掛かけた親に対する手のひら返しのリスペクトのような事例である。学生時代は自身のアイデンティティ=現実を揺るがしてきた親に対して反発していたものの、一度その自身のアイデンティティ=現実の先に夢を描き、それを共有することができた時点で、親もその自己確認的ループに包含されるのだ。

それでは、ヤンキーはいったい家族以外の誰とコミュニケーションをとることができるのだろうか?
矛盾するように聞こえるかもしれないが、それはヤンキーでしかない。つまり、本質的な他者を求めないヤンキーは、本質的な他者となりえないヤンキーとの間でのみコミュニケーションを成立させるのである。
そして、その表層的なコミュニケーション相手との関係性をコミュニティとして成立させるために必要になるのが「絆」である。コミュニケーション相手の属性は恋人であったり、友達であったり、ひいては暴走族の仲間かもしれない。いずれの場合においても、その相手との「絆」が重要になる。その「絆」そのものの意味合いについて議論したところで本質的な意味は無く、あくまでも現実の目に見える形での共通性のみが「絆」を強化することができる。それが結果として、前述の保守的なヤンキー文化を形成することにつながっているのではないだろうか。
次回はこのヤンキーの保守性について更に議論を進めたい。

東浩紀が「動物化するポストモダン」において述べたオタクのコミュニケーションと同一の構造であると考えることができる。他者の欲望を欲望するというメタ的なコミュニケーションを求めるのではなく、自己完結の動物線的な欲望のみが存在している。ここでの動物的という言葉の意味合いは、自分自身の感情的な欲望を効率良く満たす欲望の構造と説明することができる。


石像

Yankee!の巻(石像記す)

ヤンキーという言葉自体は聞いたことがあると思うが、その意味をWikipediaに参照すると以下の通りとなる。「日本国内において、「周囲を威嚇するような強そうな格好をして、仲間から一目おかれたい」という志向を持つ少年少女を指す俗語を指す。また、それらの少年少女に特有のファッション傾向や消費傾向などライフスタイル全般を含める場合もある。口伝えで広まった言葉のため、語源とは関係なく曖昧な定義のまま使用されることが多く、「非行少年」「不良」「チンピラ」「不良集団」などを指すものとして広範な意味で使用されている。」※1
この曖昧な言葉として捉えられているヤンキーの本質を定義し、誰の心にもあるヤンキー性を炙り出した斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」は非常に刺激的な論点を提示している。私はこの著作のアイデアをすべて正しいとは思わないし、論理に飛躍も多くみられるとは思う。ただし、この著作の示した論点について考えることで、多くの人がなんとなく感じている日本社会がもつ独特な雰囲気に輪郭を与えることで、その”雰囲気”を出発点にさらに新しい論点を提示できるのではないかと思う。
斎藤環の関心は「なにゆえ不良文化にルーツを持つであろうヤンキーの美学が、かくも世間一般にまで広く浸透するに至ったか」※2という点から始まる。成人式の羽織袴、ドン・キホーテ、パチンコ、競馬、ジャージ、ゴールドのネックレス、デコトラダッシュボードのぬいぐるみ、矢沢永吉浜崎あゆみEXILE、ROOKIES等々、私たちが直感的にヤンキー的であると感じるサンプルは数限りなく列挙することができる。これらに通底する思想は不良性でなく「そのバッドセンスな装いや美学と、「気合」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの”文化”を指すことが多い」。※3まずはこの定義の意味合いを説明するところから議論をスタートしたい。

「気合」は私たちの身近なところでも見つけることができる。前述のヤンキー的なサンプルのなかから、矢沢永吉を選んでみよう。彼の名言と呼ばれるものをいくつか紹介したい。

「ドアの向こうに夢があるなら、ドアがあくまで叩き続けるんだ。」
「言いたいのは、それひとつだよ。その生き方を人のせいにしちゃダメだ。」
「オレは、いま生きるのがつらいって言っている人は、やっぱり、どこかに自分の生き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。かんじんなのは手前の足で立つことなんだ。」※4

これが「気合」でなかったら何と呼べば良いのであろう?そして、なぜこのような「気合」でしかない夢を語る言葉に人々は共感することができるのだろうか?斎藤環はこの答をヤンキーの本質である徹底したプラグマティズム=現実主義に見出す。ヤンキーの発想の根底にあるのは目の前にある現実に向かって行動し続けることで夢は叶うという徹底した行動主義である。そのことを言い換えると、彼らにとっての夢は目に見える現実を強調した延長で描かれるものであるということだ。その結果、ヤンキーの夢は極めて世俗的なサクセスストーリーとして語られる。高級外車、ブランドの洋服、高級住宅地の一軒家・・・。なぜならヤンキーの夢は、それが夢として抱かれた時点から現実の延長でしかないからである。今自分が送っている生活を最大限にまで強化した結果としてしか夢を語ることができないヤンキーには「いま」しか存在しない。もしかするとこの夢すら後付けで描かれるものであり、ヤンキーの夢は将来を企図したものではなく、無根拠な現実主義者のロマンティシズムでしかないのかもしれない・・・。そして、そこには高位の理念や理想(また逆に言えば皮肉や冷笑)といった、メタレベルが存在することは決してあり得ない。
また、「気合」については生活保護に関する議論もひとつの例としてあげることができる。生活保護に対する日本人の視線(スティグマ)の根底にあるのは働かない/働けないやつが悪い=甘えだという意識ではないだろうか。「仕事なんて選ばなければいくらでもある。」この言葉には社会システムや生来の能力といった本人にはどうにもできない要因への配慮はなく、「気合」でどうにかなるという感覚的な思考が結実しているのではないか。なぜやりたくもないことをやってでも働かなければならないのか。日本国憲法の理念は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のであって、”文化的”であることを切り捨ててでも無理矢理働くことが本当に必要なのか?私にはこれもまたプラグマティズムによる「気合」の現れであるように思えて仕方ない。
次回はこのヤンキーのプラグマティズムがある種の防衛反応ではないかという論点について説明したうえで、「絆」の議論を始めたいと思う。

※1 : Wikipedia「ヤンキー (不良少年)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC_(%E4%B8%8D%E8%89%AF%E5%B0%91%E5%B9%B4)
※2 : 斎藤環世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」P7
※3 : 斎藤環「ヤンキー化する日本」P9
※4 : 矢沢永吉の名言・格言集 http://iyashitour.com/archives/20485


石像

北海道ツアー 二日目〜乱世編〜の巻

北海道二日目。
この日も何もないので、石像が予約してくれた余市ニッカウヰスキー蒸留所へ。
しほうの実家のハイエースを運転しました。
はじめて運転したけど、ワゴン車って楽なんですね。
高速道路に入る手前の信号が短すぎてなかなか右折できませんでしたが、つきました。



(■写真:浮かれる石像)



(■写真:王様)


見学中、子どもたちがにおいのせいで吐きそうになっていました。
前に行ったサントリービール工場のホップのところのほうがにおいが強烈だったので、僕はへっちゃら。
最後の試飲タイムで、
「ぼかぁやっぱり麦酒が好きだナ」
と思ったので、にっしゃんとしほうに高いやつは飲んでもらいましたとさ。


その後、お土産を買ったりなど。
駐車場のそばにある芝生でしほうが寝そべって買ったばかりのウヰスキーを飲んでいました。
いいなー!麦酒があればなー!と思ったのでした。



(■写真:寝そべって買ったばかりのウヰスキーを飲むしほう)


その後、燻製のお店があるとのことで、帰りの道中に寄りました。
しほうにそのお店の名前を聞いたら、
「みなみ…ほりゅうたろう」
と言うではありませんか。


「え?」


「みなみほりゅうたろう」


「あ?」


こりゃ埒が明かんわ、とググる


うーむ。
南保留太郎……。
みなみほりゅうたろう、でした。
年俸闘争が激しそう!


で、そこで燻製を買って、帰路は車内で麦酒と燻製。
たくさん飲んだ。


しほうの家に帰ると、今日は知り合いの寿司職人が来てくれるとのこと。
セレブなん?と思いましたが、セレブでした。



(■写真:セレブの寿司)


たらふくいただきたらふく飲み、みんなでひゃっほう!きゃっほう!などしました。


さて、明日はライブだしそろそろ寝るか。と23時ごろ、なんだろなー、なんか気持ち悪いなぁ、食べすぎたかなぁ、と感じました。
あのとき、生牡蠣を食べなければよかったのに……
というわけで、そこからインターバルを挟んではオーウェンゲリマンダー、インターバルを挟んではオーウェンゲリマンダー
、というのを夜更けまで繰り返し、死にそうになりました。



(■写真:オーウェン



(■写真:ゲリマンダー


他のみんなは平気だったし、寿司職人が「消毒してあるから大丈夫よ〜」と言っていたので、僕の問題。前にもなったしな!
というわけで、僕は生牡蠣を食べたらダメな身体みたい!
そんなに好きというわけでもないので、まぁいいや!
たくさん食べたのに全部出てしまったけど、あれだけ贅沢したのに太らない!などと、モデルのようなことを考えていました。


おなかが空っぽで眠りについた僕が翌日の昼に食べたものとはいったい…!?
乞うご期待!


藤谷☆ゆーた
続く。

よい音楽が好きだ!の巻

ネガポジ移転決定、おめでとうございます。ありがとうございます。
元ウーララのところだそうです。


北海道から帰ってきて、なにやらいろいろとやっています。
表現太郎というネガポジのボス的なボスの10周年トリビュートアルバムに参加するべく、石像とビリーさんとビリーさん宅でチャチャっとレコーディングをしました。
なかなかおもしろいものが録れたと思います。ミックスはベンズの江添さんに丸投げ。江添マジック、楽しみです。
表現太郎10周年イベントというのが11/11にネガポジであって、そのカバー曲を一曲やります。その日は石像が無理ということで、翔平とビリーさんと僕の三人でやると思います。


それから、ようやく歌のレコーディングを始めました。
いい感じです。
ようやくアルバム出します。


火曜日にネガポジに行って、西村暢紘、中村佳穂、yatchi(ムーズムズ)、安藤明子、のライブを観ました。
こういう音楽が聴きたいんだ!と、すごくワクワクしました。
西村くんの弾き語りはかなり久しぶりだったけど、こんなによかったっけと失礼ながら思いました。おもしろいメロディだった。
中村佳穂さんはひさしぶりに観た気がするけど、いつも一番よいと感じる!すばらしい。力まずに力強い。
yatchiはただ者じゃないとずっと思っていたけど、ここまで本格的にただ者じゃないとは思っていませんでした。すみません。いろんな表情を見せるすばらしいピアノだったなぁ。音源もすばらしかったです。いつまでも思い出して聴きたい。
安藤明子さんは、やさしい声で鋭いことを歌うのでドキッとする。魅力的な人だな、と。
稀にみるよい音楽にあふれた一日に、創作意欲がぽよぽよと音を立てて湧いてきました。


僕もワクワクする音楽を作りたい。作ります。


藤谷☆ゆーた

北海道ツアー 初日〜黎明編〜の巻

シルバーウィークに札幌に行ってきました。
休日に入ると飛行機代が二倍ぐらいになるので、平日から平日までの一週間滞在コース。
モルグモルマルモ(以下、モルグ)の僕氏(以下、僕)と深田和良氏(以下、ビリーさん)と石像氏(以下、石像)、渚のベートーベンズ(以下、ベンズ)の西村中毒氏(以下、にっしゃん)は、その間ずっとモルグとベンズのおのしほう氏(以下、しほう)の実家に泊めてもらいました。


(■写真:飛行機が墜落したらきっと死ぬのでその場合遺影になるかもしれないしイエーイな僕)


着いた日はしほうのおばあちゃんが入居している老人ホームに僕の運転で行くことになっていたので、機内では飲まず。
しかし、しほうの実家に着くやいなやお母様からサッポロクラシック(以下、麦酒)が供され、飲み始めるにっしゃんとしほうと石像。
じゃ、ま、僕も。と飲み始めてしまい、ありゃりゃ〜。
お母様お手製の「元気玉」をおいしくいただきました。こりゃ元気玉だ!


と、HPを回復した我々は、しほうの実家への道中で見た謎の巨大建造物が何だったのか確かめるため、RPGみたいに旅立ったのであった……


しほうが「あれうちの近所よ」と言っていたためライトな感じで家出したパーティー
しかし、パーティーはすぐに「あれ、これ近所って距離?」「北海道の近所ってやつ?」と感じつつ、近所の山道畦道を進んだ。


歩くこと30分。
あった。


(■写真:謎の巨大建造物(北海道百年記念塔))


途中、道案内の看板に「残り1.2キロ」と書かれていて、「よし、がんばろ」と思って10分歩いた先に「残り1.2キロ」の看板を発見したときには、正直「もう永遠に着かないのだ、僕たちは残り1.2キロの円周上をぐるぐるして一生を終えるのだ」と思ったけど、着いた。
「立入禁止」と書いてあって、入れなかった。けっこう長いこと「立入禁止」のようだった。


そこから歩いて幹線道路まで出て、バスと地下鉄で大通公園へ。
しほうはおばあちゃんに会いに行きました。
にっしゃんと石像とオクトーバーフェスで飲み食い。
出店のくせにおいしかった。ラム肉はもうこれで満足だな。と思って、さて、まだ時間あるなぁ、何する?と言うと、石像が「サッポロビール博物館。サッポロビール博物館。サッポロビール博物館」としか言わなくなったので、仕方なくタクシーでサッポロビール博物館へ行って、見学。Tシャツを買って、なんか安く飲めるところがあったのでたらふく飲みました。


そんなこんなで帰宅。
夜はしほうの実家で餃子をいただきました。
お仕事から帰宅したお父様がしほうそっくりでした。
言うことも似てる!ずっと飲んでるところも同じ!
楽しいお父様!
初日から最高だぜ!


続く。


藤谷☆ゆーた