Yankee!〜その2〜の巻(石像記す)

前回は「気合」にもとづくプラグマティズムがヤンキーのメンタリティを構成していることについて述べた。例えば矢沢永吉などがサクセスストーリーとしてヤンキーの憧れの対象となるのは、情熱を伴った現実主義・行動主義=「気合」によって成功を手に入れた物語であるからだ。
しかし言い換えると、このようなサクセスストーリーにヤンキーが共感するのは、自らの現実を守るためではないだろうか。ただ繰り返される現実に対して抱く漠然とした不安を抱くことのないように、目の前の現実の延長線上に夢やロマンを描いているのである。
そして、その夢が現実に反映されるという自己増幅的なループのなかで、現実も再確認されていくことになる。その結果がヤンキー的なメンタリティであり、具体的に言えばヤンキー的な服装や美学と言える。

今回はヤンキーにとって「絆」がどのような意味合いを持つのか考えていきたい。
そこで、まずはヤンキーの代名詞である暴走族をイメージしてもらいたい。彼らは一般社会から逸脱した存在であるということは間違いなく理解できるだろう。しかしその一般社会からの逸脱というイメージに反して、その内部では厳しい上下関係が構築され、男性または女性のみで構成された保守的な関係性のなかで、組織の構成員間での絆が極端なまでに重要視されている。
一般社会からの逸脱であるはずの暴走族が、むしろ保守的な絆による紐帯によって組織化されているのはなぜだろうか?
また異なった例として、湘南乃風などのミュージシャンをイメージしてもらいたい。詳細に語るまでもなく、恋人との絆、親との絆、親友との絆などといった、極端なまでの絆がここにも色濃く現れている。

これは根底でヤンキーのコミュニケーションスタイルが影響していると考えることができないだろうか。
現実主義者であるヤンキーにとって、メタレベルが存在し得ないことは前回述べた。そうすると、ヤンキーにとっての現実であるコミュニケ―ションはより表層的なものにならざるをえない。その表層的なコミュニケーションを行うコミュニティにおいて、個々人のアイデンティティを維持するために絶えざる自己確認と同時に、自分自身をキャラ化することが求められる。このことを斎藤環は「毛づくろい的コミュニケーション」※と呼んでいる。コミュニケーションが自分自身のキャラを再確認し、強化するために行われているためである。

つまり、ヤンキーにとっては本質的な他者は求められていない。ヤンキーの自己確認的なコミュニケ―ションにおいて、他者が介入することでその自己確認的ループを乱されることを彼らはもっとも嫌う。なぜなら、そのループのエンジンとなるのは自分自身の夢であるからだ。そのループが乱されることは夢を傷つけられることになり、翻ってアイデンティティさえも乱されることへと繋がってしまう。

このように本質的な他者を求めないヤンキーにおいて、コミュニケーションは自分の現実の内部にある存在である家族との間においては成立することが可能である。自分自身の夢を共有する(苦労をかけた)家族とは自己確認的ループが成り立つのである。
具体的には、学生時代にグレたことで苦労を掛かけた親に対する手のひら返しのリスペクトのような事例である。学生時代は自身のアイデンティティ=現実を揺るがしてきた親に対して反発していたものの、一度その自身のアイデンティティ=現実の先に夢を描き、それを共有することができた時点で、親もその自己確認的ループに包含されるのだ。

それでは、ヤンキーはいったい家族以外の誰とコミュニケーションをとることができるのだろうか?
矛盾するように聞こえるかもしれないが、それはヤンキーでしかない。つまり、本質的な他者を求めないヤンキーは、本質的な他者となりえないヤンキーとの間でのみコミュニケーションを成立させるのである。
そして、その表層的なコミュニケーション相手との関係性をコミュニティとして成立させるために必要になるのが「絆」である。コミュニケーション相手の属性は恋人であったり、友達であったり、ひいては暴走族の仲間かもしれない。いずれの場合においても、その相手との「絆」が重要になる。その「絆」そのものの意味合いについて議論したところで本質的な意味は無く、あくまでも現実の目に見える形での共通性のみが「絆」を強化することができる。それが結果として、前述の保守的なヤンキー文化を形成することにつながっているのではないだろうか。
次回はこのヤンキーの保守性について更に議論を進めたい。

東浩紀が「動物化するポストモダン」において述べたオタクのコミュニケーションと同一の構造であると考えることができる。他者の欲望を欲望するというメタ的なコミュニケーションを求めるのではなく、自己完結の動物線的な欲望のみが存在している。ここでの動物的という言葉の意味合いは、自分自身の感情的な欲望を効率良く満たす欲望の構造と説明することができる。


石像