ドイツのクラシカルミュージック の巻き。 2

こんばんは、しほうです。

突然spirationとか言い出して大丈夫なのかって感じですよね。
大丈夫です。

ここで、spirationとは全然関係ないモルグの最近の1コマを紹介します。
携帯が壊れたとかで代替機を借りた藤谷君が「ショップ店員が『代替機』のこと『代替機』って言うのが云々」と何やら息巻いてまして、僕は「まあそんなことに固執するなよ!」と言ったところ、石像だけが笑ってくれました。
こんな感じで僕らは普段からホイチョイチョイを研究しています。

では、前回の続きです。

spirationへのアクセスなど人類にはおこがましいという意見もあろうかとは思いますが、逆に僕は聖なる道への歩みであると考えます。
なぜなら宇宙は自身の存在を確かめるべく誕生したと言うのが僕の持論だからです。

人間も自分がどうして生まれたのかを考えますよね。
生物学的には両親がセックスをしたから(一人称的確認)、心理学的には他者の中で自分のイメージを形成する事で(二人称的確認)、社会学的には他との境界を作る事で(三人称的確認)…というように存在理由を確認します。

宇宙の存在意義確認は、心理学的には宇宙の奥まで誰かが見れば満足し、社会学的にはさらにその奥までは到達できないと諦めれば満足するのでしょう。
人間に当てはめると「好きな人とは色々共感しあいたいけど(他者へのイメージ形成)、全てをさらけ出して理解されたら自分の底が浅いようでつまらない(他との境界)」といったところです。
話は脱線しますが他人との、特に恋愛での二人称的感覚と三人称的感覚のバランスはとても難しいですよね。
ただ本当に愛し合いたい人とは一人称的感覚まで共有したくて、だから子孫を残すのでしょう(決して同性愛や不妊症を蔑んではないです)。

話は戻りまして、宇宙の奥を覗いて心理学的に満足させるにはspirationへのアクセスが必要になってきます。
inspirationをいくら高速で働かせても光の速さで膨張(spiration)するといわれる宇宙の奥までは覗けません。
さらにその奥まで行こうとspirationにアクセスするにとどまらず手を加え出すと、逆に今度は宇宙の社会学的な存在意義を害してしまいそうなので、それはやめた方が良いような気がします。
これって凄い難しいですよ。
spirationに影響を与えずに触れるには、こちらのエネルギーが0、つまり絶対零度の手が必要になりますね。

続きます