ドイツのクラシカルミュージック の巻き。

こんばんは
キーボードのしほうです。
ホイチョイチョイ研究会に向かって盛り上げて行きたくて、今回初めてこの場に出てきました。

僕は実はモルグに6年前くらいにもいたことがあって、その頃フライヤー用に書いた文を最近読み返して、懐かしくもあり今でも充分興味深くホイチョイチョイな内容でもあったので、ここでもう一度発表したいと思います。

ベートーベンの「運命」。
あれって最初の部分は"ジャジャジャじゃーん"と捉えますよね?
でも本当は"ンッジャジャジャじゃーん"で、最初の一拍は休符なんですって。
確かに運命的なinspirationがある時は、言葉よりもまず空白のようなショックがありますもんね。
あの一瞬はきっと、この先その運命が絡んで起こる未来が構築されているのでしょう。

東海林に「inspirationのspirationって『宇宙』って意味で、それにin-をつけて『閃き』となるんじゃないか」と語る夢を見たことがあります。しかし夢の中での3日後に「ごめん、spirationなんて単語なかったわ。」って謝ってました。
僕って夢の中でも律義なんですよ。
それはおいといて、今になって思えば夢での仮説は正しいような気がします。
「運命交響曲」の"ンッ"で表現したあの空白でinspirationが行われているなら、感じ取った「未来の構築」自体がspirationであるというのは言葉の作用と反作用(in-は反義的な接頭語)の関係から類推できます。
spirationなんて単語は辞書にはありませんが、そこは言霊として捉えてください。
そして空白後の"ジャジャジャじゃーん"は、一瞬でspirationされた未来の再生なわけです。それは運命と出会わなければ起こったであろうその他の選択肢全てが副作用として消えることと同意義。これは言霊的にdespirationがぴったりでしょう。
現代の人類は毎秒のspirationに副って起こるdespirationばかりを追及してきたために、余りにもinspirationが鈍化してしまいました。inspirationを使って考えを喋るとどうも刹那に生きてると捉えられがちですが—まぁ実際spirationが刹那で起こってるので間違いではないか…—spirationにアクセスして未来を自分の手にするためには、inspirationを研ぎ澄ますことが第一歩だと思います。

続きます

しほう