サンライズとサーセン。の巻

この前、andymoriのSunrise & Sunsetを車のステレオで流したときに、しほうが「Sunsetがサーセンに聞こえる」と言っていて、たしかになぁ、と思った。


Sunriseにサーセンする気持ちもよく分かる。
「お天道様に申しわけない」とか言うし。
たとえば宿酔のとき、別に自分の勝手で一日を台無しにして怠惰に過ごしているだけなのに、後ろめたいような気持ちになる。


「宿酔」 中原中也

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。


この詩にも、太陽と天使が出てくる。
宿酔と太陽と神や罪のようなものは繋がりやすいのだろう。


宿酔の一日は、誰かがあと一日と願った一日でもあるわけで、そういう点ですべての日は「かけがえのない日」なのである。
だから、漠然とした「罪の意識」のようなものを抱くのではないか。


「罪」を「罪」たらしめるのは自分の意識に因るのではないか、なんとなくの宿酔、なんとなくの怠惰が「罪」を作り出すのだと考えた僕は、


かけがえのない今日は、かけがえのない酒を飲み、かけがえのない明日は、かけがえのない宿酔を。
かけがえのない今日は、かけがえのない怠惰を貪ろう。


と決心した。
そうすればSunriseにサーセンすることもなくなるのではないか。
果たして明日はどうだろうか。
僕はサーセンせずにいられるだろうか。
また報告します。


さて、車でandymoriを聴いた後に花泥棒を聴いたら、花泥棒も「サーセン(Sunset)」と歌っていた。
その後に聴いたfishmansも「サーセン(Sunset)」と歌っていた。
みんなサーセンしてるんだなぁ。


今日は数年ぶりに会う友人たちと飲む。
とりあえず14時すぎからサントリー山崎蒸留所の見学に行って飲む。
それから大阪に行ってどこかで飲む。
終電まで飲む。
それからたぶん帰って寝るまで飲む。
僕の明日はどっちだ。
サーセンなのか。


藤谷☆ゆーた(ワケわかんないなこのブログ。ライブのときのMCみたい)