自律人間のすゝめ。の巻

来月二日連続スリーマンの初日で、アルバム全曲披露対決をするナードマグネットの須田くんのツイートに触発されて、ロックについて考えを拗らせてしまった。


ロックは怒りと愛を燃料にして表現されるものである。
なので、「原発やめろ!」とか、「資本を独占するな!」とか、ロックはみんな愛のない出来事に怒っている。
また、ロックといえども商売なので、多くの人が共有できる怒りが表明されがちであり、まぁこれは仕方ないし、愛があれば商業的でもよいのだ。
商業的に成功しつつも商業主義に怒るというのも、一見矛盾するようだが、そこに愛があれば構わない。


はて、僕はちっともロックをやろうとは思っていないのだけれども、愛にもとづいた怒りは抱えているので、いっちょロックしてみるか、と思ったわけです。


そもそも身の丈にあったものを歌わなくては、作品が「よそよそしくてサブいものになる」のはもはや(ライフスペース的な意味での――つまりかなり特定の僕の周囲の信頼に足る人々のなかでの――)定説である。
そういうよそよそしくてサブいものが大嫌いな僕はしたがって原発や資本家の搾取に一市民として怒ってはいるけれども、僕にはとても大きすぎて手に負えない。


このように考える僕としては、またフェミニズムが、「個人の経験」として切り捨てられてきたものが実は女性に共通の政治的な問題であるとして、社会全体で取り組まなくてはならない課題だと訴えるべく提唱した「個人的なことは政治的なことである」というテーゼに同意する僕としては、僕の個人的な怒りはきっと少なからぬ人々の共感を得られるはずだと考え、僕のロックのテーマとなりうるはずの怒りについて記述したいと思う。


交通ルールにはうるさい、と思われている僕は、しかし、建前を重視するわけではない。
別になにも危険がなければ信号を守るかどうか、同じくスピードオーバーするかどうかも個々人の「適切な」判断でするのなら、かまわない。
ただし、「適切な」判断を下すためには、かなり高度な状況判断能力が必要となる。
たとえば、交通全体の流れを見て、む、あの車、おそらくこちらの車線にくるな、と予測して減速しなくてはならない。
状況判断能力が十分にあるのならば、ルールは破っても僕が責めることではないと考えている。


そんな僕だから、そこは建前守らんかい!と怒るのである。


歩行者信号が赤になっても自動車用の信号が青だったら直進してしまう歩行者や自転車。
それ自体は個々人の判断で行なわれていることで、赤だ!(ピタッ)と止まるオートマチックな人とは違い、「ふっふ、自律的な私/俺」と思っておられるのだろう。
しかし、ルールを破るのなら、きちんと適切な状況判断をしなくてはならない。


たとえば、左折の車がいたら、歩行者信号は赤なのだから止まらなくてはいけない。
そこで止まりつつ、右折の優先信号が出たときに右折車がいない!と判断し、いける!と思ったのなら、そのときに行けばよいのである。
ルールを破るには、ルールを守る人を十分に尊重してから破らなくてはならないのである。


ここまで書いて、ちょっと図を描かないと分かりにくいよな、と思って、机の右半分を空けるべくオーディオインターフェースの電源を落としたらブルースクリーンになってしまって、「あっちゃー!メモ帳で書いてた記事全部消えたわ!」と思い、一度はすべてを諦めかけたけれども、一念を発起して再度メモ帳を開き、同じことを書き始めて5分、あれ?さっきメモ帳で書いてなかったのでは?と思い、インターネットに接続、当ブログを開いたら、直前までの文章が残っていた。よかった。


では、図を描くからちょっと待ってね。


まぁ、読んでいる人は別に待たなくてもよかったし、結局ペイントで描いたので、机の右半分を空ける必要はまったくなかったが、描いた。
こういう状況である。
わかりやすいでしょう。


この場合のチャリは一旦左折車をやりすごして、そのあと右折の優先信号が出て、かつ右折車がいなかったとき、初めて行くかどうかの判断をすればよいのである。
それまでは、一度停車して左折車を優先させなくてはならないのだ。


これは左折車への愛にもとづいた、歩行者とチャリに対する怒りである。
それ自体はかなり局所的な怒りだが、「ルールを守る人を妨害するルールを破る人に対する怒り」という一般論でも通用する。


とはいえ、本当に一番ムカつくのは、「ルールを破ること」それ自体を――特にそれで不利益を被るわけでもないのに――糾弾する有象無象である。
えてしてこういう人たちが、ルールを破ってルールを守る人を妨害しがちである。
なんせ、適切な状況判断をすることを放棄しているわけだから。
ルールを破るには、そのルールの破り方があるということを自覚して、正しく破らなくてはならないのだ。


ただし、理性を超えたものについてはこのかぎりではない。
(交通については、常に皆が理性的であらねばならないが)


藤谷☆ゆーた(絵が下手)