調子に乗ってもう一回更新しよう

バンドでブログを通じて会話をしてるのキモイですね(自虐厨乙で)。
まあ、それはおいておいて。
私が本当に信じている歌は藤谷とは(当然だけど)全然違ってて、スピッツの「名前をつけてやる」とか(「さわって、かわって」とか「ヒバリのココロ」とか「月へ帰る」とか)、たまの「南風」とか(安心、ひとだま音頭(これは知久ソロだが)とか、)、フィッシュマンズの「IN THE FLGHIT」とか、ヤーチャイカの「鼻水」とか、モールスの「線を引けたら」とか、ブッチャーズの「襟が揺れてる」とか、花のようにの「夢を見る人(タイトルあってるかは知らん)」とか。
どうして、こうも本当によい曲というのは世界にあふれているのだ(英語の歌詞のものを省いたのは意図的ではない。ペーブメントのシャディーレーンとキャロットロープは死ぬほど名曲)。
なんで、こういったものを、(藤谷の言葉を借りて言うなら)自分でもちゃんとここから数年聴きたい曲を作れんのだ、というジレンマがある。
くそ、本当に悔しいんだぜ。死ぬほど悔しいんだぜ。クンフーが足りなさ過ぎるのだろう。
世界で一番自分のことが好きなくせに自分の作ったものが好きになれないとか、笑けてくるわ。
上でフジファブリックを挙げなかったのは、藤谷と違い、俺は全面的に(?)賛美する側に回ってしまうから。
あれだけのバリエーションで、質もおとさず、本当のことを言い続けれるとかね。しかもちゃんと、馬鹿馬鹿しいところに落とせてるし。
くそ。
志村が生きてたらこれからどんな曲を作ったのかが知りたい。それだけで充分悲しい。
あはーん。
馬鹿馬鹿。
志ね。
乙。


小児