就職とか

・友人が順調に就職していく。枠にはまりやがって、等とは思うわけがなく。ただなんとなく自分ひとりぽつねんと置き去りにされた気がしてさびしいんだろう。そういう意味ではこの感情は浪人が決定したときの高校3年生春とさほど変わらない。でもさらに言うならば就職というのは社会的な位階制度(ドラクエのレベルみたいなもんか)の中ではひとつのゴールでその地点にたつとその先に死が待ち構えているのがリアルに透けて見えてくるのが薄ら恐ろしいということなのかもしれない。小学生のときはもちろん、高校のとき、そして大学のとき、見渡していた将来は、別に其処に明るくて素敵な未来が待ち構えているとは思いもしなかったが、全くの未知でぼんやりとしていてだからこそ恐怖することもなかった。が、就職(というよりは学生でなくなるということ。だから無論私も例外ではない)することによってそのもやもやは剥ぎ取られ生身のなんもない自分が露呈してしまう。何もない未来が露呈してしまう。ここ2年の間でいろんな友人が就職していったが、最近就職した(らしい)友人は本当に適当な(感じ)のやつで一緒に遊んでるときは意味のない阿呆な話しかしてなくて、研究職につくことはあってもまさか普通に就職するとは、という思いが自分に「就職」ということをリアルに思い知らしめたのだと思う。
しかしながら就職することは本質的には生活における楽しさとは別物で(まあ当然だがね)就職していてもみんななんだかんだと楽しそうにしている。だからまあそれでいいんだね。若干さびしいがね。置き去りにしないでほしいものだが致しかたないんだろう(当然)。何言ってんだかね。