無責任でいいな、ららら〜。そんなことを思ってしまった。

25日に志村が死んでしまって、それを知った直後に東海林が家に来て、一緒に一本麦酒を飲んだ。

東海林が帰り際に、「藤谷くん、死なないでね」と言うので、「うん。死ぬまでは死なんよ」とかなんとか言っておいた。
いま死ぬほどなにもできてないし。

東海林が帰っても、ぼくは飲み続けて気絶眠。
夜中にビリーさんから着信があって、翌朝、「ごめん、寝てたわ」とメールをしたら、「大した用じゃないから」との返信。

さっき更新されたビリーさんのブログを見て、やっぱりあの電話は志村のことだったんだなぁ、と思って、ぼくは周りの人に恵まれているなぁ、と思った。

実はぼくは一番好きな歌手が死んだのにたいして悲しんでいなくて、というか、悲しみ方が分からなくて、これはぼくの人間性に関わることだと思うんだけど、父方の祖母が亡くなったときも、おじさんがなくなったときも、父ちゃんやいとこが泣いているのを見て泣くことはあっても、「人が死んだことそれ自体」に泣いたことはないのです。
人が死んで一番悲しかったのは、清志郎が死んだときだったような気さえする。
どうにも感情の伝達器官が機能不全を起こしているんだと思う。

ただ、「人は死なない方がよい」ということは知っている。そのことはよかったと思う。

まだ志村が死んで4日目だというのに、おとといから今日までボナさんとくだらないことで楽しい時間をすごして、ウイイレとマリオに一喜一憂していた。
今朝なんて昨夜のテレビ番組に感化されて、ミスドのドーナツを買いに行った。

新曲もできそう。
なので、ぼくは新曲を作ったり、ドーナツを食ったり、鶴はしのラーメンを食ったり、ゲームをしたりで忙しいのです。
なによりも新音源のミックス!
ボナさんと遊んでいてまったくやっていません。
どうでもいい茶番を録音していました。

それでも寝るときには志村のことが頭に浮かんでくる。
フジファブリックのいまある音源を大切にしようと思う。
こないだ発売されたYellow Monkeyのトリビュート盤に入っていたフジファブリックの「Four seasons」を聴いたけど、相変わらず志村のうたは下手くそだった。
それはそれはいとおしい下手くそなうただった。

「歌はどうやっても死なない」ってビリーさんの日記のタイトルどおりだわ。

ボナさんも言っていたけど、音楽家が死んでも音楽は残る。
それはそうだなぁと思って、じゃあぼくがいま死んだらどんな曲が残るだろう、と考えたら、

パピヨンピョンピョコメランコリーエンジェル〜」

とかだった。

前回の日記でいつ死んでもいい、とかカッコつけたことを書いたけど、これじゃまだ死ねない!

ついでにもっとモルグモルマルモでとんでもない音楽を、ライブをしたい!と思ったので、なるべく死なないようにします。

また最後にカッコをつけて、グンナイララバイ。
どうもありがとう。


藤谷ゆーた