昔の話ばっかりする阿呆。の巻
会長!と呼ばれ、握り締めた拳を振り上げ振り向いたのだけど、どうやら俺のことではないやうだ。
「会長」と呼ばれたのはいつの日か。
当時、俺は世界スポーツ協会なる組織の会長を務めておったのだけれども、かかる組織にオランダ国の代表が加盟することになり、オランダ語の話せない俺はそのことをくよくよ気に病み、結果会長の座を辞任したのである。
あのころの栄光、会長と呼ばれた日々…
会長の座を辞任してしまったことを、はっきり言って俺はいまでもかなり後悔しているのだけれども、一度辞めたことにうじうじする自分自身に憤怒、挙句の果てには俺を「会長」と呼ぶ人物に対して「過去を想起させしめた」として暴行を加えるという現状に堕したのである。
当時の俺、輝いていた。
「ペタンク」というスポーツがある。
その黎明期、名前を決めよう、という企画で、我々世界スポーツ協会の5人のメンバーも会議を開き、アイデアを出し合ったのだ。
結果、我々世ポ協(セポキョウ)は、「コロペッタン」という競技名を提案するに至ったのである。
しかし、競技名審議の会議において、「ペタンク」という名が提案され、これはもう、ペタンクだよ、と会長の俺は思った。
このとき、「コロペッタン」「ペタンク」の他に、「鉄球おはじき」なる競技名も提案されており、この3つの中から、各団体の代表が多数決で決めるという投票がおこなわれた。
このとき、俺がペタンクに手を挙げたものだから、ペタンク2:鉄球おはじき1、という結果になり、「ペタンク」に決定したのである。
ところがこの俺の挙手が、日和見的な投票だったのではないか、と世ポ協内部で論争が巻き起こり、日和見だとする旗翻僧(はたほんぞう)率いる旗派と、いや、あれはもうペタンクっしょ、自分たちの意見を曲げる難しさをものともせずに投票をおこなった会長(当時、俺)の英断であるとするオニュッソン率いるオニュ派に世ポ協は内部分裂、そのとき俺は。
あぁ、もう好きにしてんか。ちょうどオランダ国のランゲージを理解できないし、俺は辞めますよ、会長。
そんで、俺いたら次期会長を決めるのもやりにくいやろから、俺は外出てるわ。ほな。
と言って、残る旗派、オニュ派の計4人の会員に後を任せ、あぁ、早よ決まらんかな、このあとどこで飲み会するんかな、もうチェーン店はいやだなぁ、と思っていた闊達な俺。しかし。
いつまでたっても終わらぬ会議に、俺、会場に戻ってみたところ、
受付のねいちゃんに「あ、もう先にみなさん帰られてますよー」と言われ、
「あ、そうすか。どこ行ったか分かります?」と訊いてみると、
「そんなもん知りませんけど」と嘲笑される始末。
ちっきしょ〜!と俺、後を追おうかとも思ったが、受付のねいちゃんに「もう私はあがる時間なのですけど、一緒にお食事でもいかがですか?」と言われたので、俺、ねいちゃんと焼肉を食らいビールでいい気分、後日、ねいちゃんとユニットを結成し、ボサノヴァ風の曲「身体が重くダルい」を拵えたのである。
くわばらくわばら。
藤谷☆ゆーた